先日内藤剛志さんのラジオの件を書いたのですが、その時の言葉をひしひしと感じる出来事がありました。それは「そこにプライドは無い」という言葉です。例えば現場で年下に呼び捨てにされても、それが面白かったら腹は立たない。俺たちはお客さんのために仕事をしているんだからと。
私も先日引継ぎで先方の社労士に雑な扱いをされたのですが、「そこにプライドはない」と思えばいいのだと思いました。その社労士のためではなくお客様のためにやるのです。自分を雑に扱われた、蔑ろにされた、と思う時、まず怒りや腹立たしさが湧いてきますが、そんなプライドは無い方がいい。その社労士に腹を立てても自分が嫌な気分になるだけだし、実は相手にはそんな自覚は全くないかもしれません。
そして昨日「捨てられる男たち」という本を読みました。タイトルが内容と合っていないのですが、これはパワハラの加害者視点で書かれたノンフィクションです。被害者視点で考えがちなパワハラ問題ですが、これを読むと加害者が冤罪の被害者のように見えます。「そんなつもりは全くなかった」とみんな口を揃えて言っています。しかし逆の立場で考えると「それは言ってはいけないでしょう」と思うことでばかりです。今40代、50代、それ以上の男性にとって、昔当たり前だったことが通用しなくなっています。一方「何でもかんでもパワハラだと騒ぐ世の中では指導なんてできない」と思われる方もいるでしょう。しかしそんなことはないと思うんです。まず相手は自分とは全く違う価値観、性格、境遇であると知ること。そしてその言動を受けて相手はどう思うかという想像力があったら、不幸は防げるのではないかと思いました。